ワ キ ャ シ マ 散 歩 【第2部】
皆さんこんにちは。今日は、「ワキャシマ散歩」の【第2部】を投稿します。
退屈されないように頑張ります。
ワキャシマ「金久」
金久集落での年中行事は数多くあります。その中の一つ「六月燈(ロッカツドウ)」が7月23日に行われました。
さて、「六月燈」とは???。
鹿児島県の神社・寺院で行われる祭りで、鹿児島県を中心に旧薩摩藩領だった地域で行われる行事です。薩摩藩主、島津光久が城下に観音堂を再建した時、沿道に燈篭をつけさせたことが始まりだそうです。
薩摩藩の支配下にあった奄美大島でも「六月燈」行事は伝わり、集落行事として続けられている。
ワキャシマの「六月燈」行事風景
大笠利の氏神、秋葉神社 祭り先立ち「八月踊り」が奉納されました。
ちなみに、「六月燈」にまつわる八月踊り唄を、一つ紹介しておきましょう。
シマ(集落)ぬいべがなし シマ守てィたぼれ
ナヌカナナユル(七日七夜)や 祝てィおしょろ
踊らだなうれィば シマや山なりゅり
でィわきゃふりたててィ 踊てィとよも
今年ニニ(稲)がなし 七升づきつィかば
白まみき作てィ チュナンカ(一七日)遊ぼ
唄の意味を完全に理解しているわけではありませんが、もともと奄美大島は稲作が主な産業であったのが、薩摩藩の支配下以降稲作から砂糖黍に切り替えさせられたのです。したがって、八月踊り唄や奄美民謡の中では、ニニ(稲)という言葉は頻繁に出てきますが、砂糖黍という言葉は稀にしか出会いません。
※ 砂糖黍にまつわる、切なくも哀しい物語(実話です)が沢山あります。機会があれば紹介しようと 思っています。
農作業の帰り道 オバァ~ はいポーズ
腰に下げた籠は、テェルと言い、奄美大島独自の形状をしています。
奄美の夏は、祭りが目白押しです。8月に入れば「奄美まつり」「あやまる祭り」と続きます。「奄美まつり」は、本島最大のイベントで、唄あり踊あり市内パレードそして最後は、夜空を焦がす大花火の打ち上げ。
ワキャシマ散歩も忙しくなりそうです。【第3部】乞うご期待
id:akasyobinでした。