ワ キ ャ シ マ 散 歩 【第3部】

テゲテゲじゃ 

 大笠利は、三つのシマ(集落)に区分され、ワン(吾)の住まいは2区(里前)に位置している。しかし、吾家は3区(金久)で住民登録がなされている。

 これには経緯があるのです。

 町役場(当時は笠利町)に転入届を提出する際に、「娘と同じ金久に転入したいのだが」と申し入れたところ、役場の係員は「どちらでもいいよ」との回答を得て、笠利3区で申請・受理となったのです。

 ちなみに、吾家の真向かいに在るお家は2区(里前)になり、集落が違うことによる違和感を、それぞれの行事の度に感じます。

 各集落は在籍集落民からの寄付金その他によって、その年の集落財政を賄っていることから、一世帯でも一人でもワキャシマの住民が増えることを望んでいるのです。

なお、集落住民からは「八月踊り」の中で【花】という形で寄付されています。

 まさに、テゲテゲ(いい加減)のなせる所以か。(話がややこしくて申し訳ありません)

 

                  笠利大橋と吾が家(真ん中の赤い屋根)

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 それでは、少し周辺をご案内いたしましょう。

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 「大笠利漁港」です。

 奄美大島には各集落ごとに、設備の良し悪しや大小は別にして、このような港が造られています。

 奄美では集落のほとんどが海に面しています。(2・3の例外あり)

 笠利町は、比較的平地が広がり道路の整備も行き届いていますが、他の町村では集落の背後は山という地形が多いのです。したがって、隣の集落へ行くのにも山道より海上を舟を使って往く方が、安全でむしろ早く往けたと推測されます。

 奄美大島には「ハブ」という猛毒を持つ蛇が生息しており、山道を歩くには常に危険が伴います。吾がこの島に移住して、一番に教えられたことは「道を歩くときは、真ん中を歩け」でした。つまり、道端の草むらには「ハブ」が潜んでおり、突然飛び出して人に襲いかかることもあるから、注意しなさいということです。

 話は脇にそれましたが、「集落」を「シマ」と呼ぶようになった理由は、集落間の行き来に舟を使い港を利用していたことから、集落と集落の往復をあたかも「島」と「島」との往復という観念的現実が定着してできた言葉だと言われています。(この説に私は賛同です)

 一般的には、やくざの世界で使われている「縄張り」=「シマ」が語源なのかもしれません。

 

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 「大笠利カトリック教会」です。

 

 奄美大島を特徴付けるものの一つに、カトリック教会の存在です。その多さは目を見張るものがあります。観光ルートを走っていても、教会の建物が随所で見られます。

 これは、とりもなおさずカトリック教徒の多さの証でもあり、かのカトリック都市と言われる長崎市全体のカトリック教徒の数を凌いでいるのが実情だそうです。

 

 写真の「大笠利カトリック教会」は、つとに有名らしく(信徒でないのでよくわかりません)歴史も古く、朝・昼・夕の定時に鳴り響く鐘の音で時刻を知らせてくれます。

 

 鐘の名前は、「アンジェラスの鐘」と呼ばれ、数奇な運命を辿りながら何事もなかったように、定時には鐘楼から美しい音色で、生活のリズムを確認させてくれています。

 

 閑話休題

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 来る人、帰る人・・・奄美空港                       f:id:akasyobin:20160803112505j:plain

   色着きはじめたパイナップル

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   逞しく育った 島バナナ

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   あやまる海岸公園 珊瑚礁を削って造った海水プール

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   どこまでも真っ直ぐな道 桜マラソンのコースになっています。

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   ダンの実 パイナップルとよく似ていますが食べられません。

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 今日の周辺案内はこの辺で、ではまた。

       

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