奄美の「八月踊り」

 

みなさん、こんんにちは。id:akasyobin です。

台風15号が、ワキャシマを狙っています。不気味な動きで今後の進路が気になります。

さて今日は、奄美の伝統文化である「八月踊り」を紹介しようと思います。

「八月踊り」の意義は、秋の豊かな収穫を天地の神々とご先祖様に感謝し、シマ(集落)と家々を浄めてその幸福を祈るといった「祭り」としての意義と、春から夏にかけて自らの労苦を慰め、大いに歓楽に興ずるという意図から行われます。

農業形態や生活様式の変化により、現在では後者がもっぱらとなりつつあるようです。

奄美にはたくさんの行事がありますが、ほとんどの行事がが旧暦で行われており、「八月踊り」もその年の暦に対応するため、実施日が毎年変わることになるのです。

踊りは、前半(アラセツ)と後半(シバサシ)とに分けられており、中に3日間の休みを挟んで前半・後半それぞれが3日間踊り続けるのです。

今年の踊りはじめは、新暦の9月16日となり、この日から3日間踊りが続き、3日間の休みを経て9月22日からさらに3日間踊るのです。

「八月踊り」の様式は、それぞれのシマ(集落)によって少しずつ異なりますが、ここでは私のシマの「八月踊り」を紹介します。

踊りに必要なものは「太鼓(チヂン)」だけです。(最後に踊る”六調”では、三味線も使います)

踊りは、男性と女性が向かい合うような形で輪になります。

ウチジャシ役(音頭とり:男性)の唄の合図で、太鼓役(女性)がチヂンを打ち踊りが始まります。最初はゆっくりとしたリズムで次第にテンポも早くなり、男女の唄の掛け合いも最高潮となったところで、ウチジャシ役から「ト~ザ~イ」の掛け声がかかり踊りは終わる。ここで一旦休憩となりご馳走が振る舞われるのです。もちろん「黒糖焼酎」も。

一つの踊り場所でこれを数回(唄が変われば踊りも変わる)繰り返し、次の踊り場所へ移動します。

踊り場所(家庭)は、集落であらかじめ班割りされた中で毎年決められます。

1日の踊り場所は3か所で、踊りの最後に[花の披露」がなされます。これは各家庭から頂いた[祝儀」の公表です。披露役は主に若者が行います。ときには仮装などをして、面白おかしく口上を述べるのです。その姿にシマッチュも見物客も大爆笑の渦に巻き込まれていくのです。

締めくくりはやはり「六調」です。チヂン・三味線の伴奏で唄が謳われ、更にハト(指笛)が吹かれて、踊り手の感情をますます盛り上げて次の踊り場所へ繋がるのです。

私が奄美のこのシマに移住して14年になりますが、まだまだ知らないことが沢山あります。

移住してきたその年に踊り場所に指定され、困惑したことは今でも忘れません。

自称[お祭り男]一日でも早くシマに溶け込もうと、島唄・三味線教室に通い更にチヂンの打ち方まで習いました。シマの公民館で行われる「八月踊り」の練習にも毎回参加しました。そして、ようやく人並みに謳い・踊れるようになった頃から体に変調が現れ、診断の結果パーキンソン病と判り、踊りも三味線も太鼓もすべて中途半端で終わりました。

以上は、私の体験とシマの古老から頂いた知識により記しました。皆様からのご指摘・ご叱責をお待ちしています。

「ブログ」って、こんなに字数を使っていいのかな?

お読みいただき、アリガッサマリョウタ

 

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「八月踊り」のスナップ写真です